鍵山優真の父はオリンピック選手!若い頃の経歴や生い立ちと現在も!

気になる話

こんにちは、Majoです。

 

2022 北京オリンピックが終ってしまいましたね。

フィギュアスケートも、団体戦が終り、銅メダル獲得しました。

そして、個人フリーも終わり、ネイサンチェン選手が金メダル、そして、

鍵山優真選手が、銀メダル

を獲得しました!!!

18歳で初めてのオリンピックです。

おめでとうございます!

キスアンドクライで、待っていたお父さんも、嬉しそうでしたね。

この、鍵山優真選手のお父さんは、鍵山優真選手のコーチをしていますが、元オリンピック選手だったという事で、少し調べてみることにしました。

 

◆鍵山優真選手のお父さんは、元オリンピック選手

◆鍵山優真選手のお父さんの、若いころの経歴と生い立ち

◆鍵山優真選手のお父さんの、現在

 

以上の事をまとめてみたいと思います。

 

鍵山優真選手のお父さんは元オリンピック選手


鍵山優真のお父さんの名前は「鍵山正和」さんと言います。

 

1992年 アルベールビルオリンピック

1994年 リレハンメルオリンピック

 

に出場しました。

残念ながら、表彰台に上がることは出来ませんでしたが、当時は猫足と言われるほど、足首と膝が柔らかく、すっと氷上に滑り降りる姿が、忘れられないという方は多くおられます。

 

 

オリンピックに選ばれるくらいですから、その前の1988年と1989年の全日本ジュニア選手権で1位になっています。

 

そして、世界ジュニア選手権でも、親子で表彰台に立っています。

親子で、世界の記録に爪を立てるって、これもすごいことですよね。

 

鍵山優真選手のお父さんの、若いころの経歴と生い立ち

 

鑰山正和さんは、1971年(昭和46年)4月21日生まれで、2022年1月現在50歳です。

これまでの経歴をまとめてみましょう

数字は順位を示します。1は1位です。

大会/年 1987-88 1988-89 1989-90 1990-91 1991-92 1992-93 1993-94
オリンピック 13 12
世界選手権 10 19 8 6
全日本選手権 2 1 1 1 2
NHK杯 8 11 4 6 4
ユニバーシアード 3
世界Jr.選手権 10 3
全日本Jr.選手権 1 1

wikiより参照

全日本選手権の成績は、すばらしいですね。

&

切手にもなったんですね。すご~い!


しかも、今回のオリンピックを記念して、鍵山優真選手の切手も販売されました。

親子で切手になるって、本当に本当に、すごいですよね!

 

鍵山正和さんが、フィギュアスケートを始めたのは、小学校2年の時と言われています。

何でも、正和さんのお母さんの佐治子さんが、スケート教室に連れて行ったのが、きっかけのようです。

 

佐治子さんが、スケートをしたくて、やってみたら面白くて、のめりこんでしまったとの事でした。

それで、子供の正和さんを連れて、せっせとスケート教室に足を運んだのです。

 

すると、スケート教室の先生が、「正和君は、いい素質を持っているかもしれない」とほめてくれるので、個人レッスンを受けさせ始めたそうです。

 

その時の月謝が3万円だったそうです。

 

当時、佐治子さんはシングルマザーだったとかで、自分の母親、つまりおばあさんに資金の援助をしてもらい、衣装も縫ってもらい、佐治子さんは、スパンコールなどの飾りをつけたと言われてました。

 

時代的に、高度成長期の初期でしたが、生活を切り詰めて、切り盛りしていたのでしょうね。

その後、正和さんは、めきめきと頭角を現し、小学校の高学年の時には、全国大会でも実績を残すようになりました。

 

「この子は、オリンピックに行ける」と確信した佐治子さんは、練習にも全面的なサポートをします。

すごく熱心な、ステージママのようになりました。

 

1992年のアルベールビルオリンピックに出場が決まった時も、やりくりして、大学の壮行会で集まったお金を充てたそうです。

 

母の努力無くしては、オリンピック選手の鍵山正和は、ありえませんでしたね。

 


鍵山優真選手の滑りを知っている方は、お父さんの正和さんの滑り方を見て、鍵山優真選手の滑りがお父さんにそっくりな事に気が付いていると思います。

親子ですから、似ているのは不思議ではないのですが、ここまで似ていると、DNAのなせる業としか言いようはありません。

 

鍵山優真選手のお父さんの、現在

 

お父さんの鍵山正和さんは、鍵山優真選手のコーチをしています。

お父さんに連れられて、スケート場に通ううちに、いつの間にか氷の上に立ち、鍵山優真選手は、5歳の時から練習を始めていたそうです。

 

そんな中、家庭の事情で、両親が離婚をして、鍵山優真選手と正和さんの父子2人の生活をしていました。


まだ、子供の鍵山優真選手の面倒を、公私に渡ってすべて、男手一人で看てきました。

想像をするだけで、大変だっただろうと思います。

そして、鍵山優真選手のコーチの仕方ですが、家に帰ってからは、一切スケートの話はしなくて、スケートの話をするときは、家の外の車の中で何時間も話したと言います。

 

しかし、鍵山優真選手が15歳の時、正和さんが47歳の時ですが、病に倒れてしまいます。

脳出血でした。

入院して、約半年。

 

残念な事に、左半身マヒの後遺症が残りました。

 

当時15歳だった、鍵山優真選手は言いました。

「あまり、状況が理解できなくて、気が付いたら、お父さんが病院にいた」

そして、

「今まで、すべてお父さんがしてくれてた事を、今度は自覚をもって自分で考えて行動します」

 

お父さんの正和さんが、杖をついて戻ってきた時は、「嬉しかった」と素直に述べてます。

また、正和さんも退院して、鍵山優真選手を見たとき、一回り大きくたくましくなっているのを、大変喜ばれたという事です。

 

関係者の方は言います。鍵山優真選手は、一言も泣き言を言わず、落ち込んでいたこともなかった。お父さんへの想いが、ひしひしと伝わってきた、と。

 

そして、お父さんの正和さんは、杖をつきながら鍵山優真選手のコーチを続けます。。

 

長距離移動は、車いすを使います。それを、鍵山優真選手が手伝います。


父子のすばらしい、チームワークでつかんだ、オリンピックの切符でした。

まとめ

今回は、鍵山優真選手のお父さんの鍵山正和さんを、中心に調べてみました。

オリンピック出場に向けて、麗しい父子の絆の物語がありましたね。

お父さんの正和さんも、お母さんの佐治子さんとの物語がありました。

こうやって、いろいろな絆が織りなしている、このオリンピックも、様々なドラマが展開されています。

それを、尊重しながら、オリンピックを観ていきたいと思います。

 

最期まで、読んでいただいてありがとうございました。

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