“ガクセキの絆”?箱根駅伝 で話題になった事とは?学法石川高についても!

気になる話

こんにちわ、majoです。

箱根駅伝2022も、大盛り上がりして、青山学院の優勝でおわりましたね。

しかし、駅伝は終わっても、その余韻はまだまだ続き、いろいろな選手のエピソードを目にするようになりました。

その中で「ガクセキの絆」と言う言葉が、話題になっているので、調べてみました。

「ガクセキの絆」って何?

まず、「ガクセキ」って、何か調べました。

学籍ではありませんよ。

これは、学校法人石川高校の事を、「ガクセキ」と略しているのですね。

石川高校の「石」が「セキ」と読まれているのです。ちょっとわかりませんでしたね。

石川高校の事は、後述しますが、今回の駅伝で、どの様なエピソードがあったのでしょうか?

実は、復路の8区の出来事です。

8区の15キロ過ぎたところで、中央大学の中沢雄大(3年)選手が、遊行寺の坂あたりに差し掛かったところで、創価大学の吉田凌(1年)選手に追いつきました。

吉田選手は、8区が上り坂になっている後半部分になり、走りのコントロールに難儀していました。

その時、追いついた中沢選手が、叫ぶんです。

 「一緒に行くぞ!」

声が、響いたと言われてます。

実は、この二人は、先ほど調べた「ガクセキ」の、石川高校の卒業生でなんです。

中沢選手にとって吉田選手は、「ガクセキ」で2学年下の後輩だにあたります。

駅伝でお互いに、ライバルであるという事には変わりはありませんが、同じ「ガクセキ」の仲間として、一緒に走るぞと言う、思いを叫んだのでしょう。

これが「ガクセキの絆」と言われる所以です。

実際、中沢選手も後に「後輩にしっかり走ってほしいと思いました。奮起する材料になればと思って」と心情を吐露してます。

しかも、この時、中沢選手も人を励ますどころか、自分も足が引きつりそうになっている状態でのことでした。

「区間賞」を取るくらいのハイペースで走っていたからなんです。


この後、2人はお互いに、ねばりの走りで最後まで頑張りぬきました。

中沢選手は、4人抜きでチーム3位になり、吉田選手もチーム5位を死守したのです。

「きついところでも、食らいつこうと思えた」

と吉田選手も先輩の心意気に感謝したそうです。

すごい、後輩愛、これこそ「ガクセキの絆」ですね。

 

学校法人石川高校ってどんな学校?

それでは、その石川高校って、どの様な高校なのでしょうか?

かなり、歴史のある中高一貫校です。

明治25年(1892年)石川義塾として創立。福島県内最古の私立学校と言うので、歴史のある学校なのですね。

また、同じ石川町内にある、福島県立石川高等学校と区別するため、高等学校は「学法」(「学校法人」の略)を冠し、略称は学法石川、石高(せきこう)、学石(がくせき)。

この「ガクセキ」の所以ですね。

この石川高校ですが、かなり長距離競技に強くて、今回の箱根駅伝にも11名の卒業生が名簿に上がっています。長距離に貢献してますね。

今回実績があった人の表です。

大学 氏名 学年 区間 成績
1 東洋大 松山和希 2 2区 5位
2 東京国際大 宗像 聖 3 9区 9位
3 中央大 中沢 雄大 3 8区 3位
4 創価大 吉田 凌 1 8区 8位
5 明治大 櫛田 佳希 3 8区 11位

8区に3人が出ていますね。

石川高校の練習は、ロードに出るのではなく、ひたすらトラックを何周もして、走り続ける練習のようです。

そして、どんどんスピードを上げていく練習を、やり通すようですよ。

監督は、若いうちにスピードになれる体質を作っておかねばならない、と言われていました。ですから、トラックを走りこむのですね。

因みに、東京オリンピックの10000メートル決勝に出場した、相沢晃選手も、こちらの卒業生です。

まとめ

年の初めの、箱根駅伝ですが、根強い人気がありますね。

競技は終わっても、そこに至る、様々な感動エピソードが出てきて、ドラマチックになってます。

今回は、「ガクセキの絆」について調べてみました。

ライバルでも、絆は存在します。

すばらしいですね。

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました